アレクサンダー・テクニークを独学で身につける試み(03)

やる。読み進めの続き。

 

第3章は「感覚」の話。①感覚認識は不完全。間違っていることを認めるのが大事。②略。③筋感覚の話。字面を見ればだいたい意味はわかるでしょう。(私はこれを触覚に含めていいのではないかと思ってしまう。内側か外側か、という違い。)③感覚が働かなくなる理由。「習慣的なものは感知しづらくなる」。「使い過ぎても使わなくてもダメ」。「先天性・外力による物理的なもの」。「自己の誤用」=特定の部位が使い過ぎor力抜けすぎの状態になってる。④感覚認識は「考え」(前章での「概念形成」)と「体験」を結びつける。なのでずさんな感覚認識をしてると双方が悪くなる悪循環に陥る(デフレスパイラル的な)。⑤感覚認識を改善するステップ。1、最初は(人から教わる等で)行動後に「間違った行動してるわー」と気づく。2、慣れると行動中に「~」と気づけるようになる。3、最終的には行動する前に「間違った行動しそうになってるー」と感じる?ようになる。これが「抑制」。

まとめ。「ずさんな感覚認識」(メインとなるのは筋感覚)を改善しよう。そのために大事なのは「抑制」。つまり行動前に間違ったことをしそうになってると気づけるようになること。

すこし補足、というか。今私はこの記事をノートPCでタイピングしているわけだが、その最中私はいつもの「習慣」で背筋が曲がってしまっていることに「書きながら」気づいている。そしてそれを改善しようとPC(プライマリー・コントロール)を意識する。しかし気づくとまた背中が曲がってしまう。背中が曲がるのは「その方が体にとって楽だ」という『誤った「習慣」』=『ずさんな感覚認識』から来ている、のだろう。そして現在の私は上記⑤のステップの2、のあたりにいる、ということ、だと思う。これを3、にまで昇華させるにはどうすればいいのか。まあ2、での修正を続けるしかない、でしょう。

 

第4章。「抑制」について。①抑制は自己の誤用をもたらす習慣的な反応にひきずられないようにすること。直接的に行動を抑制するのではなく、その行動をしようとする「欲求」自体を抑制する。②抑制の例。1.全身のコーディネートから。(個人的に大事だと思うので協調するが)頭・首・背・肩・両腕・両足まで意識。2.習慣を意識的に止める。3.右手と左手の関連。両方を意識すべき。4.正しい使い方を学ぶ。全身のコーディネートを常に意識・誤った習慣を抑制し続ける・他の部位も一体として(右手・左手)。善し悪しの判断も抑制。5.少し変化をつけて正しい使い方を繰り返す。③「座る」例。大事なところをかいつまんで。1.習慣の徹底的な排除。座りたいという欲求・過去の座ったときの記憶も排除。2.自覚的な動きとそれ以外の動きの客観視。3.「座る」と「膝を曲げる」の違い。④ノン・ドゥーイングについて。正しくない・望んでないことをしないこと。抑制と同義?⑤抑制を身につけるきっかけをつかむ際は、ある行為をしようと思い、それを実行する前に「待つ」ことが大事。⑥抑制は持続させ続けるもの。最終的には待たずに(行為をしながら)抑制できるようにする。

なんか同じことをずっと繰り返してるような感じだね。まとめ。「抑制」は誤った習慣とそれを引き起こす欲求自体を抑えること。それによって自己の「正しい使い方」を身につけられる。最初のうちは行為の前に「待つ」ことで抑制を学ぶ。

 

疲れた。ほんとは次の章まで行きたかったけど以上で。ピアノの練習とかもしたいし。

 

では。

アレクサンダー・テクニークを独学で身につける試み(02)

続きから。

 

今回は前回申し上げた通り「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」を読み進めていきます。文章を丸写し等はせず自分の言葉でまとめるので著作権等の問題はないとは思いますが、問題があれば指摘をお願いします。解釈が間違ってることもあるかと思いますがご了承下さい。

 

では。普通に序章から。と思ったけど、この章は特筆すべきことはないので飛ばします。後の章で繰り返し出てきそうなことばかりだし。

先に言っておくと、読み進める際には抽象的な概念にはあまり重きを置かず、ATを身につけるための具体的な方法に注目していきたいと思っています。この本の趣旨からすると概念とその実践を分けること自体が間違っているのかもしれないが。

 

第1章。とりあえず順番にまとめてみる。

①心と体は分けられない。総体としての「自己」を考える。②部分としての体をコントロール?するのではなく全体としての自己の「使い方」を考える。③「知性」と「姿勢」については略。強いて言えば「良い姿勢はすぐ次の動作に移れる状態」。④真の「リラックス」とは「適度に緊張している」こと。(これはピアノの「脱力・重力奏法」にもあてはまるだろう)⑤様々な問題の原因は「自己の誤用」(セルフのミスユース)。つまり自己の使い方が悪いから。⑥その原因は「エンド・ゲイニング(結果主義)」にある。つまり(直接的に)結果のみを求める「習慣」。⑦エンド・ゲイニングの反対は「ミーンズ・ウェアバイ」。つまり目的を達成するための(一見遠回りでも)最良の方法を探すこと。⑧習慣と使い方。ここはよくわからない。習慣と使い方の違いが。とりあえず使い方を変えれば習慣も変わる、としておく。⑨自己の使い方の基本となるのが「プライマリー・コントロール」。これは次章以降で。

はい。③④⑧あたりは飛ばしても良さそう。全部まとめると「結果主義をやめて(全体としての)自己の正しい使い方を身につけましょう」ということ、でしょう。意外と簡単ですね。

 

第2章。「プライマリー・コントロール」について。①プライマリー・コントロール(以下PC)とは「頭・首・背中のつながり」のこと。この「全体的な行動パターン」を良くすれば各部分の働きも調和して良くなる(はず)。②PCの性質?「体の使い方として自然なもの」。例としてヘッドリード。頭が体より先に出る。「体だけの働きではない」。要するにPCを意識すればそれに合わせて考え方や行動も変わる。「正しいポジションのことではない」。固定された姿勢ではなく頭・首・背中の「関係性」のこと。「PC=ノン・ドゥーイング」。つまり悪い使い方をやめること。③正しいPC(の表れ?)は脊柱の伸縮と頭の可動性(後述)。部分的な行動パターンに注意を向けないことで逆に機能が改善される。④略。⑤コントロールは到達すべき「目標」であって、そのためのメソッド(手段)は別にある。⑥略。⑦人間が行為するときの(AT的)手順は「概念形勢→抑制→方向づけ→行為」。ある行為をしようと考える→間違った先入観(習慣?)を排除→正しい動きをするための意識的・知的(ちゃんと考えてる)指令を(自己に)くだす→筋肉が動く。(たぶん実際はこの後にフィードバック(検証)が来るべき、だと思う)

まとめる。PCとは正しい「頭・首・背中の関係性」を損なわせる行為をやめること。これは行為の手順の中では「抑制」と「方向づけ」と同じ。以下は私の現時点での考えだが、たぶん上記で書いた「正しいPCの表れ」は自力で習得できるものではなく、教師に教えてもらわないと無理、という流れなのでしょう。これを自力で「わかる」方法があればなー、という試みになっていくと思います。実践編では。

 

疲れたので今回は以上とします。

全体のまとめ。直接結果を求めず正しい自己の使い方を習得しよう。そのための第一原理がPC、つまり『正しい「頭・首・背中の関係性」を損なわせる行為をやめること』。PCの具体的な表象がわからないのがもどかしい。

 

では。次回は続きからで。