途中から最後まで。
寒いね。今日の夜は東京で初雪らしい。
朝は昨日書いたさいとう氏のクロッキー大会に参加。30分の間にポーズを決められた時間でクロッキーを描きまくる、という内容。私はクロッキー帳に生で一緒に描きました。やってみて思ったのは、まー下手ですね、私。後から見返すと雰囲気は出ている(自分的には嫌いじゃない感じ)んだけど、やはりさいとう氏とか他の人と比べるとクオリティが段違いですわ。低い方向で。
原因を考えてみると、①単純に描き慣れていない。これが一番大きいと思う。もっと練習量を稼がないと、と思うのだが、なかなか増やせないですよねー。まあ今日は30分出来たんだから、今度は1時間、とだんだん増やしていけばいい。Youtubeでこういうポージング動画みたいなのが大量にあればいいんだけどね。「一緒に描いている」という時間共有感みたいなのも大事かもしれない。②手数が少ない。最初のうちは本数が少なくても狙ったところに丁寧に線を引いた方がいいのか、それとも雑でもいいからたくさん線を引く方がいいのか。まあどっちもどっち、なのかも。今回はなるべく長いストロークで描くことを意識してたのだが、それでも細かい線を繋いだ感じになりがち。もっと線の数を増やすことを意識してもいいかも。線の「整理」はその後で、って感じで。
その後はYoutubeで動画を漁る。バズーカ岡田氏の筋トレ動画とかがメイン。正しい腕立て・腹筋の方法とかを学んだり。筋肉について知るのは絵描きとしてもプラスになる、と信じて。
そして現在Amazon Prime Videoで「エレメンタリー」の最新シリーズ(2018年)を視聴中。去年のうちに追加されてるのを発見してたのだがまだ見てなかった。前シリーズでロンドンに移籍して、もうシリーズ完結してたのかと思ってたんだけど、まだ続いてたんだね。現在3話くらいまで視聴。どう物語を繋げるか疑問だったのだが、かなり無理やりNYに戻ってきてた。まあ面白ければいいんだけど。今のところ謎解きのクオリティとしては今ひとつ、な感がある。ストーリー的に重要な回が楽しみ。
昨日の続き。ハマトンの「知的生活」を読み進めて。「あえて知識を増やさないことが良いこともある」というところに疑問を抱く。例としてロックの文章を研究してたら優雅な文が書けなくなった文筆家、とか出てた。でもその「優雅」が「良い」っていうのは他人の勝手な評価、ですよね?重要なのは本人がどういうものを作り出したいか、ってことで、それが他者にどう評価されるかはあまり問題ではない、と思われるのですが。
全体としての自分の知識の体系の調和をとる、という発想は大事だと思う。そのために自分に入れる情報の取捨選択をするのも大事。だけどもそれは「なりたい自分」になるためであって、「誰かが良いと思う自分」になるためではない、ってこと。そしてその取捨選択の第一段階、つまり取捨選択をするための判断基準を作るための「知識の蒐集」はなるべく広範に行うべき、だと思うのである。個別の知識をどう深めるかとは別に知識の「全体像」を把握することが重要、ということ。絵を描くときも細部と全体の両方が大事、ってのと同じですよ。
以上。何事もなし。
明日は・・・また外に出られないかもしれない。まあもうちょっと情報を整理とかするかもしれない。
では。休みます。休んでばっか。筋トレ再開したいー。