無意識に。
普通に過ごす。
やったこと。①パンツを買う。意外と高いね。3枚で1000円程度。レジ袋は有料なのに紙袋は無料でもらえる、というなんだかよくわからない感じ。②中古ゲーム漁り。ちょっと遠出していろいろ店を見て回るが、どの店にも目的のゲームはなかった。1本も。仕方ないからそろそろ某オタクの整地を巡礼しに行くか、とか考えている。③コンビニで文書をコピー。アプリから書類のデータを送って店頭で印刷。コピーも高すぎる。モノクロ1枚20円だった。自宅のコピー機は故障?で使えない。黒インクだけ使ってモノクロ印刷しようとしても他のカラーインクの容量がゼロだとプリントできない、というクソプリンタ。今度プリンタを買うときはメーカーを変えよう。という決意。
移動中に武田邦彦氏のYoutube動画を聴く。京大のウイルス研究してる人との対談は面白かった。科研費を取るために申請書に流行りのキーワードをぶちこむ、というのは私の身の回りでも聞こえてくる話だったのでなんとなく共感できました。まあ科研費は騙し取ってなんぼ、という認識。テキトーな名目の研究で金を取って、その金で自分や同室の手下?のやりたい研究をやる、というような。だが一般の大学ではその金も十分に降りてこないという話。じゃあ東大が国からぶんどった金を他の大学に配って回ればいいのでは?とか思った。まあそんな良心がある奴は東大に在籍しないと思うが。他にもトピックスはいろいろあるが略。
あと武田氏自体はまともな部類の人物(かつ科学者というメディアに出てる中では貴重な人種)だと個人的には思っているのだが、動画のコメント欄が「気持ち悪い」人だらけなのは何故だろうか、といつも思う。武田氏に賛同しつつも「熱狂信者」感がにじみ出てる感じ。敵対勢力の工作なんじゃないか、と疑ったり。
ヒバリクラブ創設時のコメントに聖書のマタイのなんちゃらを引用してる奴がいたが、そいつら(というか聖書そのもの)への反論。①そもそも人間は鳥より優れている・価値があるのか?っていうかそういう「人間至上主義」みたいなキリスト教的観念は従来の日本の自然尊重文化とは相いれない、と思うのだが。別に「自然を守れ」とか言いたいわけじゃなくて、鳥も人間も同じ「いのち」で、お互いに種の存続を賭けて競い合う「ライバル」、みたいな認識が良いのではないか、と言いたいだけ。②「鳥は価値がないけど主から食い物等を与えられている」→「あなたたち(人間)は鳥より価値がある」→「だから主に感謝しなさい。そうすれば救われる」、の論理の流れ。おかしくないですか?だって鳥は主に感謝してないのに十分な暮らしが出来てるわけで、だったら我々だって感謝しなくても、というか感謝しようがしまいが十分な暮らしが送れるようにしてくれるはず、ということになりませんか?
ちょっと話は逸れるが、最近気づいたこと。宗教の本質は「信じる」という行為そのものであって、何を信じるかは大した問題ではない。信じることは本能的な行為で、逆に疑うことは理性的な行為。理性を得た人間は将来や見たことのないことへの「想像力」をも獲得したが、それによってわからないこと、というかわかりようがないこと(例えば「死んだらどうなる?」とか)への「不安」や、想定通り・期待通りに事が運ばない(例えば天災とか)への「不満」をも感じるようになってしまった。それに心(それが存在することは一応認めることにして)が囚われるようになると日々の生活に支障が出て「楽しく」暮らすことが出来なくなることもある。それを解決するために生まれた「装置」が宗教、というのが私の認識。人間が生来備えた、そして最も本質的な能力である「信じる」、というか「思い込む」能力を最大限活かす画期的な装置。
あ、私はヒバリクラブの方針には全面的に賛成です。「日々を全力で生きる」のが大事、と常々思っているので。まあ(出来ない人間には)それが一番難しいこと、なんだけど。上記の「不安・不満」はそれを感じてしまっている時点で負け。だからそんなことを考える暇がないほど目の前のことに全力投球すべし。それがー一番大事ー♪
半沢。今日の話はちょっとわかりづらい部分もあったと思う。もう少し説明を加えても良かったかなー、と。視聴率はちょっと落ちるんじゃないか、と予想。次回予告の大和田が一番面白い、という。あとやっぱり全部大和田の画策で伊佐山はダブルスパイ?でしたね。予想通り。というか原作読んだことあるのに覚えていないという。まあ忘れたことで再び新鮮な気持ちでストーリーを楽しめる、と考えれば悪くはないか。
以上。日差しがキツい中で出歩いたので疲れた。思っているより。
明日は少し作業をする。書類の整備。あと確か藤井くんの王位戦がある、と記憶している。昨日のABEMAトーナメントも見逃してしまったので後でビデオで見返そうと思う。
では。寝る。さようなら。