Stay Hungry

腹減ってる。けど我慢。

 

だらーーーーん。今日はひたすら停止してました。

 

食の話。最近の食の本では基本的にどの本も(程度の差はあれど)「糖質は減らした方がいい」と書いてある。昨日買ったライザップ本には糖質は1日45gまで、とあった、と記憶している。そんな中私は今日朝食にコンビニのおにぎり2コを買ってきたのだが、食う前に外装に書いてあった成分表を見ると「炭水化物 47g」とある。つまりライザップシステムでは1日おにぎり1コしか食えないことになる、と。しかも他の糖質は全部除かないとダメ。1日おにぎり5~6コ分の米を食ってる私からすれば、そりゃ難しいですわね。でも体重減らないのも納得できるところもある。

考えたこと。①そもそも食う量を減らした方がいいのでは。人類は500万年前くらいから存在していて、昔の人々は狩猟生活を主としていた。それが稲作等の農業をするようになって、(日本)人が現在のような食生活になったのはここ100年以内のこと、いや、もっと短いだろう。人間だけでなく、生物には環境に適応していく能力がある。と言っても変化した環境にすぐ適応できるわけでなく、世代交代でわずかずつ変化していく遺伝子の中で適応できなかったものが淘汰され、適応できたものが生き残っていくわけである。つまり数百万年の中で生き残れるように構築されてきた人間の体が、ここ数百年の食生活の「急激な」変化にすぐ対応できるのか、と考えたら、そりゃ無理だろう、と。

じゃあどうするか。2つの選択肢が考えられる。1つは次世代の遺伝子変化のために不摂生を続けること。今の世代は適応できずに糖尿病になったとしても、後々の世代になれば「耐性」が出来てくるだろう。その礎となるのなら喜んで米を食いまくって死のう、と。もう1つは「百万年前の食生活に戻ること」。昔の食生活に戻れば、少なくとも現在発生しているような健康問題からは逃れられるし、そもそも食生活等の環境の変化には徐々にしか適応できないのが生命の性質、なのだろうから。

で、昔の人ってどんな食生活をしてたのだろうか、と考えると、現在の人々のように常に「満腹状態」で暮らすことはなかっただろう、と思われるわけです。サバンナ等に棲むライオン等の肉食動物を考えてみるといい。あいつらは狩りをして他の動物の肉を食ってるわけだが、狩りの成功率は低く1週間に1回くらいしか食い物にありつけないこともざらにある(だろう)。昔の人間も同じで、農業が出来るようになる前は満腹になることなどほとんどなく、むしろ飢餓状態にあることの方が多かっただろう、と。だから現在の我々は基本的に「食い過ぎ」である、と考えられるわけです。糖質とか考える前にまず食う量そのものを減らすべきではないか、と。

②分析すべし。本で読んで「炭水化物は○○gまで」とか見ても、実際に目の前にある食い物にどれほどの栄養が含まれているかわからなければ意味がないわけです。DSのゲームで「毎日食ったものを記録するダイエット」があったけど、それだけではダメで、食ったものの中にどんな原材料が入ってるのか、どんな成分がどれくらい含まれてるのかまで知らなければ正確な「分析」は出来ないわけです。

だから①まずは食に興味を持つ。②どんな栄養がどれくらい必要なのかを知る(知識を仕入れる)。③目の前の食物の成分(量・性質)を知る。④それを食ったことによる自分の体の変化を知る(食う前と後を記録し比較する)。「正しい」食生活にはこの4つが不可欠なのではないか、と思ったわけです。そのためにはやっぱり「メモ」が大事。②~④を書いて記録しておくこと。それが一番大事、なのではないでしょうか。

 

昨日買った「嫌われる勇気」を読んだ。やっぱアドラーってすごいね。今すぐ全人類にこの本を読んでもらいたい、と思った。思考の基本の「土俵」を同じにしてもらいたいから。

私の場合に置き換えると、自分では「課題の分離」が出来ているつもり(少なくとも意識してるつもり)だし、相手の興味あることに興味を持とう、年齢等関係なくどんな人とも人間として「対等」であろう、と心がけているつもりであった。この本を読む以前から。でも回りの人間の生き方(行動様式)を見てると、(私に対してだけでなく第三者に対しても)そういう風に心がけている人間はあまりにも少ない、というかほとんどいない、という結論に至ったわけである。私の親も平気で人のことをバカにするわ私の人生の選択に口出してくるわ、の始末だし。だから私は人と関わるのを半ば諦めて仙人のような生活をしたい、と思っているわけである。でもそれはまだ「課題の分離」が徹底できてない、自分を「愛せて」いないことの表れ、だったのかもしれない。だからと言ってすぐに「他者信頼・他者貢献」しよう、という気にはなれないが。何にせよもう一度自分の「ライフスタイル」を見直す必要はある、でしょうね。もう少し考えてみなければ。時間には「いま、ここ」しかない、というのは賛同できるというか以前から考えていたことだったが、まだ自分の意識の中で強調しきれていないところがあった、と思う。もっとはっきり意識しなければ、と思い直した。

今後考えたいこと。「幸福=貢献感」について。例えば知識欲(真理を究めたい)は誰に対しての欲か?「自分の技能を高めたい」は他者に対しての欲なのか?例えばピアノ。自分で満足できる演奏がしたいが他者に聞かせようとは思わない、ただ音楽の美しさを味わいたいだけの私は間違っているのか?「他者に聴かせたい」と思うのが本来の「幸福」なのか?など。

 

以上。長くなってしまった。反省。

明日は出かけないといけない。ついでにいろいろやろう。

 

では。寝ます。ストレッチを続けてるが全然前屈で手が足先に届くようにならない。まだまだか?

 

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