それが「音育」。特に下手な演奏は避けよ。
絵もピアノもやらず。ちょっとワケあり。だが反省すべき。
朝起きたら急に親が「コンサート聴きに行く」とか言い出して、昼から外に連れ出される。人の時間を勝手に奪っておいて謝りもしないこの態度。どうなのよ?
コンサートは身内に聞かせる感じのやつ。同好会的なオーケストラ。無料。まあ金取れるレベルの演奏ではなかった。仕事しながら練習したにしてはよくやった方、みたいな。招待されたソリストの方はガチのプロっぽくて、その人の演奏はまあ良かった。半素人クラスの人たちが演奏する場合、有名な曲をやろうとしてはいけない。有名ゆえにみんなが聴いたことあって、逆に演奏のアラが目立ってしまうから。まあマニアックな曲でも下手は下手になっちゃうんだけど。こういう下手な音楽は耳に入れたくない。もっとちゃんと金払えるレベルのオケの演奏が聴きたい。中途半端な演奏聴くと余計に。あーベルリンフィルとか聴きに行きてーよー。だれかチケット流してくれよー。
もし自分に子どもが出来たら、幼少期からちゃんとしたプロのオケの演奏を聴かせたい。耳を肥やしたい。自分の耳もだけど。
上記に関連して。公立小学校の標準服?がアルマーニな件について。解決策は「小学校の生徒全員が標準服を買わない」。以上。それはともかく。「ビジュアルアイデンティティ」とか「服育」とかいう言葉について。あの校長が言ってるのは「高い服着て意識高い系の傲慢な人間になれ」ってことでしょ?要するに。全くもって教育をはき違えた思想ではないだろうか。
私は別の意味での「服育」を提唱したい。それは「小さいころから自分で服を買う」こと。イタリアの学校はほぼ全てが私服で、大抵の子どもたちが11才くらいから自分で自分の服を買うらしい。だからイタリア人ってオシャレなんだねー。自分がどんな風に見られているのかを意識して、服や衣装で自分をどう表現するか。そういう個性やセンスを磨くことが真の「ビジュアルアイデンティティ」ではないだろうか、と思った。私自身は服とかどーでもいーやと思っているのですが。絵描きを目指す身としては良くないとは思っている。でもポケモンとかでのファッションには超凝るっていう。
まあ高い服を着ることによって身や心が引き締まる、っていうのはあるよね。そういう意味で高い服を着るっていうのはまあアリだとは思う。でも小学生にそれを常に要求するっていうのはどうなんでしょうね。子どもにはもっとのびのびと生きてほしい、というのが大人になってしまった私の「上から目線」な思い。とにかく、外見にこだわるより普段の授業や生活態度などの「内面」を磨く教育の方にもっと重点を置いてほしいものです。たとえ公立でも。(私は公立の学校は治安が悪い無法地帯みたいなものだと思っていて、そこでの教育やら何やらに期待する方が間違ってるし、ちゃんとした教育受けたいなら高い金払って私立とか行くか塾や習い事に行かせるべき、みたいな思想の持ち主です。)
RTD。コバゴーは安定のトップ。ウッチー・・・。でも今日の打ち方っていうか姿勢は良かったと思います。かなり評価高めです。メンホンチートイのところはもっと素直に行くべき、とか反省点もあるけど、まずは押すことが大事。この打ち方を維持できれば逆転もあると感じさせた。まだ序盤だし。それにしてもほんとに運が悪いね。ウッチー。
以上です。
ちなみに今日の夜は炒飯。外食。早めに食べちゃったのでその後に帰ってからトッポを食す。自分へのバレンタインデー。ちょっと早めの。
明日からは平日。絵とピアノ。実況も。
じゃ。寝ます。