今日思いついた名言。
動画。
今日はだいぶサボった。外に行ったついでに本を探すが、なにも見つからず。
昨日言った話の続き。「世の中は頭の良い奴がなんとかすべき」と話したが、日本の政治では(他の大体の国も同じだけど)「選挙」をしていることに気づいた。つまり、「頭が悪い奴」が投票して代理人を選んでる時点で間違ったやつを選ぶ確率が大きいことになる。これを防ぐためにはどうすれば良いのだろう。
最も正統な方法は選ぶ人全員が「頭が良い奴」になることだろう。子どものときにきちんと教育して。でもそれは理想論で、今から教育を見直しても頭が良い奴が増えるまでには時間がかかる。しかも世の中の「頭が良くて利己的な奴」は頭が悪い奴が多いほうが自分の利益になるとわかっているので、真面目に教育に取り組んだりはしない。よって無理。
というわけで、「民主主義」そのものを見直す必要があるのではないか、という結論に至った。民主主義の反対だから「独裁主義」?と思うかもしれないけど、独裁主義だとトップに立つやつが「私欲の強い」やつであったり、そうではなくても暴走したりする可能性があるので、これも受け入れがたい。
じゃあどうしよう。とりあえず思いついた解決策は「国会議員を免許制にする」こと。政治のことを何も知らないやつが議員になっても世の中は良い方向には動かない。政治家に真に必要なのは「得票数を上げるための人心掌握術」ではなく、「良い政治を行うための知識と目的意識」のはず。
さらに「政党をなくす」。もともと政治家は一人ひとり意見が異なって当然であり、全ての案件に全く同じ意見の人なんて存在しないはず。だから「所属している政党の方針に従って賛成・反対を決める」のはよくよく考えるとおかしい。政治家一人ひとりが独立した「代表者」としてふるまう必要がある。政党をなくさないまでも、所属政党の方針と異なる意見を表明しても離党・処罰等の制裁を受けず、尊重されるようにしていくべきであろう。
タイトルにつなげると、政治(もっと拡張すると良い「仕事」)に最も必要なものは「誇り」ではないか、というのが今日の結論。昔のギリシャの知識人は「頭が良い」ことは神から与えられた才能なので、それを活かして世の中を良い方向に動かしていく「義務」がある、言い換えれば自分たちの才に「誇り」をもって行動しなければならないという意識があったらしい。私の見解だと。今の政治家やら何やらにはみんな「誇り」が足りてないのではないだろうか。そもそも政治家が本来目的とすべきは「自分の意見を通すこと」ではなく「より良い意見を生み出すこと」だと思うのだ。
この前テレビで野党の人が「どうせ与党になれないんだから捨て身で行く」とか言ってたけど、野党だからこそ「今政治に何が必要か」を真面目に考えて行動していく責務があるだろう。与党を引きずりおろすことしか考えてない野党、与党と反対の意見を述べることしかできない野党など無意味ではないだろうか。与党の側も「少数派」の意見を尊重し取り入れていく「度量」が必要だ。
と言いたいところだが、私はさらに進歩して、少数派も多数派もない「完全」な意見を練り上げるために全員が力を尽くすようになればよいかなー、と思いました。
もういいや。今日は以上。あまりまとまりのない文章ですまない。
明日は諸事情により休み。運動するかもしれない。
じゃ。