バレンタインなんて全員めんどくさいだけ

男子も女子も。タイトルにはちょい早いか。

今日も穏やかに。



外出。やっぱナメられてるね。「まごころ」が感じられんのよ。まあどうせあと1回。
思いついたこと。①朝早起きするために「朝配信」をやろうか、と。ヴァレリーの「朝のみそぎ」に倣って。でもそのためには完全に一人きりで生活する必要がある。実現はもう少し先、かな。②筋トレ等の予定?をリマインダーを使って定時に表示させる。普段iPad等を手放せない人向け。というかたぶんみんなやってるだろうけど。自分で自分の行動を縛る。その第一歩?



先日モンハンXのセーブデータをXXに移行する時に3DSを引っ張り出したのだが、その3DSに以前やってたバディファイトのカセットが入っていた。で、その流れでバディファイトをやっちゃう。なんか面白い。XXやればいいのに。
今は楽園天国を試用中。じじいのデッキをちょっとだけ改造して。どのサイズ2をエースにするか、どの必殺技(必殺モンスター)を使うか、がカギとなるっぽい。よ?



オリンピックの森会長がようやく辞任。この前は「老害」とか書いたけどそうでもない?っぽい。まあ他人のことだから知らんのですけど。森さん、是非名誉毀損で訴えないでください。
まとめ。例の「女性蔑視」発言はJOC理事会の中で「女性理事は4割に」というガバナンスコード?を求められているのに現状5/25人なことに対する山下氏?への擁護の意味合いが大きかったらしい。まあそのために「女性が多いと時間がかかる」は擁護になってない「頭の悪い」発言ではあったわけだが。
で、思ったのはこの「ガバナンスコード」への疑問。女性の割合を外部から調整するのってどうなんですか?それを調整することが本当に「男女平等」なんですか?ってこと。海外の政治家とかは普通に調整が行われているみたいだけど。
世の中が完全に能力主義社会、つまり性の区別なく個人の能力だけで全てが判定される世界だったとすると、その社会は言うまでもなく「男女平等」なはず、だと思うのです。で、その結果として特定の仕事・役職の男女比に偏りが生じた場合、それは男女の総体としての「傾向」(その仕事に男と女のどちらが向いているか)を示すものであって、偏りがあるからと言って「男女不平等」ってことにはならないはず、と思われるのです。例として挙げるなら、将棋の棋士(女流棋士ではない)は男女どちらでもなれる(門戸は男女平等に開かれている)けど、結果として現在まで女性の棋士は1人もいない、とか。まあこれはそもそも将棋に携わる女性の数が男に対して少ないから、とかの要因もあるかもしれないけど。
能力主義を第一原理とするなら、男女比を調整するのはどうなのか。調整によってあぶれた人の方が調整されたことで無理やり入れられた人より能力が高かった場合、その調整は「損」になり、結局全員が得をしない結果になるのでは、なんて思ってしまうわけです。まあ採用が均等でなくとも「機会」が均等であることは必要だと思うが。でも仮に採用が平等じゃない時に「そもそも機会が平等じゃなかった」とか「選考の際に男女による差別があった」とか、どうやって判定すればいいのか。何にしても、男女比の偏りの「原因」が何かをしっかり考える必要がある、のでは?




以上。もう遅いので書くのをやめます。
明日は土曜。XXやろうと思う。できるなら。



では。もう寝よう。

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