本当にしょっちゅう。水を飲みすぎ?
寒い。外でスマホ片手に歩いてるとスマホ持ってる手が氷のように冷たくなる。手だけお湯につけたくなるくらい。もしくは××(あまりにもな下ネタなので伏字。ヒントだけ書くと「〇〇の中あったかいナリ〜」)。
選択的夫婦別姓について。この前の続き。
前の内容をまとめると、①名前は「つける側」の権利が優先される。②我々の名前は政府・「社会」がつけるように義務付けたもの、と解釈できる。それには「個人の同定」という合理性がある。って感じだった。付け加えるなら、「名前」そのものに意味はなく(=どんな名前をつけても良い)、自分と相手の名前が「違う」ことが重要、と言える。
(追記:名前の意義として「弁別」を挙げたが、もう1つに「情報共有」がある。AとBで同じ(正確には「同じと思い込んでいる」)物体(=X)に各々違う名前をつけることが可能だが、AとBで同じ名前(=Y)をつけることで「Y=X」という共通認識を持つことが出来る。まあよく考えたら当たり前の話なのだが、後の話の前提になるものなので一応書いておく。)
では、「賛成」の立場から某氏への反論?を。①名前をコロコロ変えたら(今日はゴンザレスにしよう?とか)社会システムに混乱が生じる。確かにそれはそうなのだが、じゃあ仮に「毎日名前を変えて良い」と法律で決まった場合に、実際に毎日名前を変える奴が出てくるか?って話。そんなことをしても名前を変えた本人にとっては不便極まりないことになる、と容易に想像できるだろう。規制改革の話とかと同様に、「名前の変更禁止」という規制を取っ払って「市場」の作用に任せた場合でも、結局は「合理的」なシステムに落ち着く(=名前を変える奴など滅多に出てこない)はず、なのである。それでもアレなら、名前の変更を自由化したとしても、現在のシステムのように手続きを厳重にする等で名前を容易には変えにくいようにすれば良かろう、って話。(今の日本国憲法の「硬性」(変えづらさ)の議論に似ている?)
②名前を自由に変えられると犯罪者に悪用される危険性がある。それもそうなのだが、逆から考えると性犯罪の被害者等「元の名前を知られるとあらぬ被害を受ける可能性のある人」にとっては(有害な効果なくして)有益にもなり得る。つまり一概に「名前を自由に変えられると害しかもたらさない」とは言えない、というわけ。もう1つの反論としては、今までのシステムでは「氏名(姓名)」を個人の同定の第一手段として用いてきたわけだが、近年では日本でも「マイナンバー(個人番号)」のシステムが導入されたため、個人の特定にはマイナンバーを用いて名前は後から変更可能なシステムにしても、「公的な契約にはマイナンバーが必要」という制度を普及させれば問題なくなるだろう、と考えられる。「名前」は変えられても「マイナンバー」は一生変えられない、って制度にすれば良くない?ってわけ。マイナンバーを参照すれば今までの「名前変更歴」を確認できる、とかも出来るようにして。
①②の議論は、夫婦別姓の範囲を超えて「姓名自体の変更」についての議論になっていたが、この段階についても私は「名前は変えても良い」って意見になっている。その点に注意。
③現在の日本の「夫婦同姓」制度は昔からあった日本の「家」制度(文化)を踏襲したものである。それは事実そうでしょう。だが某氏自らが述べているように、日本と海外の制度の違いは「文化」の違いであって、どちらが良い悪いという種類のものではない。ということはつまり、海外では夫婦別姓のシステムであったとしても(例えば「女性が結婚しづらくなる」等)日本と比べて社会的に根本的な問題(差異)は生じていないわけで、ならば(選択的)夫婦別姓に変えたとしても問題は生じ得ないのでは、ってなるわけ。日本のシステムが(合理性の観点から)「優れている」なんて根拠は何1つないわけだし。
昔の日本なら「家」というルーツを保つことで、個人のアイデンティティの確立等良い作用が(気づかぬうちに)働いていて、それで良かったのだろう(いわゆる「天皇制」の効用と同質)。だが現代になってそれらの文化の作用を客観的に見ることが出来る様になった我々にとって、果たしてこれらの「文化」がこれからの社会・人間にとって本当に必要なものなのか、よく考える必要があるだろう。
④人間関係が希薄になっている現代社会において、「家」制度までなくなってしまったら、人は本当に「孤独」になってしまう。いや、それの何が悪いの?「姓が同じ」等の制度的な『仮初』の同一性に「甘える」のではなく、1つ1つの個が自身の存在をかけて真剣に相手に向き合うような結びつき、みたいなものを作っていくべき、ではないでしょうか。近代になって「親の職業・身分を受け継ぐ」等のシステムがなくなって人が孤独になったのは「進化」と捉えるべき、なのです。
⑤「結婚しても姓を変えたくない」なんて『覚悟』のない女性はそもそも結婚なんてすんな。これこそまさに「暴論」って感じよね。
まず、そもそも「なぜ結婚するのか」を考えてみると、「相手と一緒になりたい」とか「子どもが出来ちゃったから」とかいろいろあるけど、一番大きな要因は扶養家族等の税制的・「金銭的」な利点、ではないだろうか。なぜそれらの利益を得るために「姓を変える」という不利益を受け入れなければならないのか。まあこの論点に関しては、事実婚やパートナー制度などをもっと拡充した方が良い、という結論で良いと思う。「姓を変更しない」のと「金銭的メリット」の両立が出来る選択肢を増やそう、ってこと。
⑥結局日本の「家族制度」をぶち壊したいだけじゃん。まさにその通り。家族が形骸化しつつある現在、我々は「家族」というものの認識をもっと改めなければならない、そういう時代に来ている、と私は思う。
ちなみに、私は将来ちゃんとした収入が確保できたら養子を取りたいな、とか考えている(たとえ結婚したとしても)。自分と姓も違う、血も繋がってない子どもを育てたい。そしてその子に「本当の『家族』っていうのは姓が同じかなんて関係ない。共有した時間や心などの『繋がり』が大事なんだ」ってことを教えたい。
⑦最近は「通称使用」を認めるところも増えてきている。それらが認められるなら「夫婦同姓」に反対する理由など何もない。いや、全部ではないじゃん。そして、夫婦同姓が合理的に必要って理由も何もないじゃん、ってのは先にも出た話。
⑧「結婚したことを周囲に知られたくない。だって不倫できないから」なんて反吐が出る。いや、そっちの発想の方が反吐が出るわー。
まず私は「不倫」はしても良いと思っている。先の「文化」の話と同様、一夫一妻制度は文化的な側面が大きく、多夫多妻の場合と合理的な優劣はないわけだし(昨日の記事のアレではない)。むしろそれらの性交渉によって子どもが出来ちゃったりすれば少子化問題への対策になりませんか?とか思っちゃう(もちろん出来た子どもをちゃんと育てられる制度を作る必要はあるが)。そして「結婚を知られたくない」も立派な理由になり得る、と私は思ってしまうのですが。
長くなったけど、某氏への反論は以上。
もう1つの論点。武田氏の意見として、夫婦同姓はその家族の子どもにとって良い作用をもたらす、という点。これについては③⑥を参照されたし。「なんでお父さんとお母さんは名字が違うの?」と質問されてきちんと答えられる親になる。そして「家族」の本当の意味を一緒に考えられる親になる。そういう人が増えれば夫婦別姓でも何の問題もなくなる、だろう(現実にそこまで「まとも」な人間が増やせるか、と言われれば疑問だが)。
最後にまとめ。
名前とは社会的な要請であり、その根拠は「個人の同定」という合理性のみ。それに反しない範囲での「文化的」な名前制度の差異に優劣はない。「個人の同定」の役割をマイナンバーに任せれば名前の変更は認めても良く、認めた場合でも合理性の観点から「名前の過剰変更」という混乱は生じ得ないと考えられる。
夫婦別姓問題は「家族」のあり方と本質的に結びついている。なのでこの問題は「家族はどうあるべきか」という観点に立ち戻って考えなければならない。その意味では事実婚・パートナー制度等と関連づけて考えるべきだろう。
もう1個追加の話題を。某氏などいわゆる「保守」の人々は「伝統や文化は大切なものだから守っていくべき」って言う。いや、「良い文化だから残すべき」ではなくて、「残ったから良い文化」なのですよ。合理性があって「良いもの」っていうのは(権力者等が)手を加えなくても自然と残っていくものだし、逆に良くないものは勝手に廃れていくだけの話。だからこそ、(いわゆる天皇制などの)文化はなぜ現在まで残っているのか、なぜ昔の社会ではその制度でうまくいっていたのか、その「効用」をきちんと分析して、その上で現在の社会でその「効用」が本当に必要なのか、受け継いでいくべきものなのか、をよく考える必要があるだろう、ってこと。その上で「必要だ」って思うのなら、まあそれで良いと思う。私には不要ってだけなので。
具体例として、はんこ廃止がある。ちょっと前にはんこ業界が政治家にクレームを入れたらしいけど、本当にアホな話だと思う。だって文句を言うってことは自分から「証明等の押印以外にはんこの利用価値はない」って認めてることになりませんか?そんな文句を言うくらいなら、はんこの広告を打ったり手作りはんこの講習をしたり等すれば良いんじゃないの?って思う。はんこ文化が本当に「良い文化」なら勝手に残っていくはずだし、「良い」と思って残そうとする人が頑張るはず、なのだから。それを政府に文句言うって。甘ったれるな、って感じ。
(上記の文句は「河野大臣がはんこ文化を貶すようなことをした」ってことに対して、じゃない?って人。それはそうなんだけど、それで文句言うってことはそんなんで揺らぐほど「はんこ文化」は危ういものだ、だから守ってくれ(金を出せ)、って言ってるようなもんじゃない?)
長い。こんなどうでもいい文章を書いて1日を潰してしまうという。反省。
Mリーグ。昨日の黒沢の8000オールを何度も見返してしまう。
今日もいろいろあった。けど詳しくは書かない。ドリブンズがついにマイナス圏に。次に雷電が勝つとドリブンズを抜いて4位まで浮上する計算。萩原は出てくるのだろうか。
あと日向が萩原の批判?的なことを言ってtwitter等が炎上してるらしい。別に何言っても良いと思うんだけど。下手だと思うなら下手って言えばいいんじゃない?本人に堂々と、ね。
そして、日吉が声帯ポリープの除去手術に入るため本日が年内ラストの実況だった。まあ思いっきり喉を使い倒してたからねー。早く戻ってこいよー、って感じですかね。コメントでも温かい?声が多かった気がする。みんな普段は「うるせー」とか言ってるのに。まあそういうもんよね。某多目的トイレの会見でも擁護者が出てきちゃうくらいだし。人の心は移ろいやすい。特に大衆の感情は。
以上。長文書いて終了。はあ。
明日は外出予定。今度こそ読書ノート・note関連。やるぞー。
では。寝る。明日は早起きに挑戦したい。出来るかはわからんが。