その喜びも、また感情なり。
だらーーーーーん。朝から心臓(胸)がずっと痛くて不調。寝るのが遅かったせいか。
朝から外出。本を探したり読んだり。哲学書の原典(の訳本)が豊富な「中公クラシックス」に注目中。今後古本屋で探してみて、なかったら新書を買う予定。あとは実況の茶番の台本を考えたり。まだ完成してないけど。
今日のアソシエイト。「動物に魂はあるのか」。先日某古本屋で購入。ねこを飼いたい私には興味深い内容かな、と思って。今日読んでたのだが、途中でめんどくさくなって飛ばし読みしてしまう。最後の結論はじっくり読んだのだが。
内容としては、「動物機械論」とそれに対をなす「動物霊魂論」について、各時代の思想家がどのように考えていたかを(ある程度)客観的にまとめて、その変遷を眺める、のがメイン。最後は現代人の動物=人間以外への生への接し方を考える、と言った感じ。
私的には、歴代の思想家たちの名前や著書・その主要な論点などを参照して今後の読書に活かせる、という点では有益だった。だが「動物に魂はあるか」という問いに対する私自身の解答にはあまり干渉しなかった、と思う。
私の解答。「昆虫やイヌ・ネコ等の種類に関係なく動物に魂は存在しないし、人間にも存在しない。」
まず霊魂の存在を信じるかどうかは「宗教・神を信じるか」と本質的に同じで、どっちでもいい、つまり「存在しようがしまいが現在の世界の種々の現象の説明に矛盾をもたらさないもの」は存在・非存在どちらを信奉しようとその人の勝手だ、と考える。なので別に存在を仮定してもいいのだが、「最小限の要素から世界を(自分の中で)説明する」という目的にはそぐわないので存在しないことにしておく。先の結論を先取りすると、霊魂の存在を仮定しなくても「なぜペットを虐待してはいけないのか」等の問いに解答できるよ、と示したいということ。
生物にはそもそも霊魂など存在しない。だが人間には「(人間以外の存在に対しても)自分と同等の機能を備えているという『仲間意識』を持てる」という機能が備わっている。だからペットの犬にエサを与え、それを貪る犬の様子を見て「喜んでいる」と『錯覚』できるし、ぬいぐるみ等の無生物・無機物にすら『愛着』を持つことができる。(もっと言うと、他の人間に自分と同じような心・感情があると『錯覚』できるのもこの性質のため。)この『仲間意識の拡大』は、心や良心と同じく人間が進化の過程で獲得した能力の1つだ、と捉えることができる。(これが私が最近発見した発想。だが世間では「ダーヴィニズム」とか言うらしい。つまり先駆者はいくらでもいる。)(他の動物が自分以外の種に対して「仲間意識」を持てる、という反例も実際はある。ねことフクロウが仲良く暮らしてる、みたいな。だがこれは幼少期から共生することで生まれる「学習」の結果とも捉えられるし、成体になってから他種の動物と「仲間意識」を共有する例はあまり見当たらない。)その『仲間意識』は昆虫等人間と形・行動様式がかけ離れたものよりも、イヌ・ネコ等ある程度の形(骨格等)・行動様式を同じくするものの方がより適用されやすいので、「イヌやネコに魂はあるが、虫にはない」とか言い出す、というわけ。
だから、本来仲間意識を向けやすい対象であるはずのペット等を虐待したりするのは「不自然」な行為である、ということになる。ここで注意したいのは「不自然=悪」ではない、ということ。善悪は個々人の判断・時代の思考形式によって変わり得るものなので、どんな命題に対しても普遍的に善悪は決定できない。ただ「人間本来の性質とはそぐわない」ということが言えるだけ、である。なのでそれに対してどう向き合うかは個人の自由。だが私は(ある程度は)自然に生きた方が精神的な「健全さ」に役立つ、と考えるので「ねこかわいいなー」とか思うことにはこれからも変わりない、わけである。
結論は同じだが、論理の過程が違う。結局はそれだけの話。
以上。長くなってしまった。
明日も朝から外出。早起きしないと。その後はまた安い本を探す旅、になると思う。結局今週は何も出来なかったー。
あ、あとAmazon Primeで過去のブロリー映画(原作は「超」のみ)と、以前から見たかった「ER」(海外ドラマ)が見られるようになっていた。ブロリーの方はまた見られなくなるかもしれないが、まあいい。ERの方もチェックしたいけど、15シーズン以上あるし・・・。
では。早く寝る。また胸が痛くならないように。