挨拶が大嫌い

今日は久しぶりに余裕がある。

 

約束通り実況あげた。url略。

 

友人(と思われる人)とskype。いろいろと話した。内容はいつも通り秘密。

 

今日はタイトルに書いた、「挨拶が嫌い」という話をしよう。

今日私は挨拶をされた。たぶんクラスメイトっていうか同じ学部の人(異性)に。

相手は手を振っていた。「私に挨拶する奴はいない。きっと私の後ろに知り合いがいて、そいつに手を振っているんだろう」と思って無視した後、ちょっと振り返ってみると誰も人がいない。最初は遠くて(目が悪くて)誰だかよくわからなかったのだが、近づいていくと(私の進行方向にそいつはいた)よく見る顔だ。今まで話したことなんか一度もないのに、なぜ挨拶してくるのだろう。と思ったときにはすでに遅く、私は挨拶を「無視」したことになってしまっていた。

挨拶とは何のためにするのだろうか。「挨拶すると気持ちがいい、よって挨拶しましょう」とか小学校のころ先生とかが言っていた気がするが、私は全く気持ちよくない。よってこれは理由としては不適。

挨拶は「対人関係を円滑に保つためのツール」であるとともに、「コミュニケーションのきっかけ」として使われたりする、と思う。前者は例えば、近所の人に会ったら挨拶する、とか。後者は、知り合いと話すときの導入、とか。

私に言わせると、挨拶は結局「自己満足」なのだ。最初の例はまさにそれに当てはまっていて、挨拶して、勝手に相手と気持ちが通じている、コミュニケーションがとれている、と錯覚して、1人で勝手に気持ちよくなっているだけ。オナニーと一緒。対人関係についても同様で、「後であいつを利用するときのために今のうちにコネを作っておこう」という利己的な企みにすぎない。そういう意味では、人間の行動はすべて「利己的」なので、まあしょうがないっちゃしょうがないんだけど。あとコミュニケーションしたいなら、最初から本題に入ればいい。挨拶など不要。以上のように(生ぬるい)対人関係を基本的に不要としている私にとっては、挨拶など「無用の長物」なのだ。

相手が挨拶オナニーするのは勝手だが、それを相手にも強要するのが挨拶の嫌いな点だ。挨拶されると、いやでも挨拶を返さざるを得なくなる。挨拶を返さないと、相手に悪い印象を与えることになってしまうから。

自分にとってどうでもいい相手のために、なんで「挨拶しないと印象悪いから、挨拶しなきゃ」と思わせられなきゃいけないのか。なんで相手のためにわざわざ声帯を震わせ、姿勢を傾ける、等の「重労働」をさせられなきゃいけないのか。

人間と関わると、こちらの心が不安定になる。どうでもいい(自分の利益にならない)人間のことに意識を向けさせられる。だから他人と関わるのは嫌。挨拶も嫌。ていうか無駄。エネルギーの浪費。

あ、でも「知り合い(っていうか興味のある人)」との挨拶は別かも。そういう無駄なコミュニケーションで満足できちゃうこともある。オナニーじゃなくてセクースになる、みたいな。片思いの人に挨拶しちゃったりされちゃったり、みたいな。まあそういうのは、お互いの了解あってのことなんで。

 

「何をくだらないことを」と思うかもしれないが、私には重大なことなので。私が「対人恐怖症」気味なのもわかっていただけたのではないだろうか。

いや、人間嫌いだけど、必要なものとも感じていて、そのギャップに苦しんでる、みたいな感じなんです。はい。

 

長くなったので以上。

あっつーーーーーーーい。PCの発熱でさらにあっつーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。

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